ガタカが暗示する、日本社会の未来と生きづらさの究極の形



皆さんこんにちは。

ネットで衝撃的な記事に出くわしました。

残酷な「遺伝の真実」あなたの努力はなぜ報われないのか
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/53474

主に遺伝という、自分ではどうしようもできない理由で学業成績の60%が決まってしまうという内容。

この手の話に触れるたび思い出すのが「ガタカ」という映画です。

 

ガタカのあらすじ

ガタカという映画をご存じない方のために、あらすじをご用意しました。こんな感じです。

(ご存知の方は読み飛ばしてください)

近未来。人間は遺伝子操作により優れた知能・身体能力をもった「適正者」と、遺伝子操作を受けられずに生まれた「非適正者」に分かれた。

両者の間には社会的・経済的に大きな壁が存在し、親たちはこぞって子どもを「適正者」にしようと狂奔していた。

主人公のヴィンセント(イーサン・ホーク)はそんな世に「非適正者」として生をうける。弟のアントンは「適正者」であるため幼少のころから何をしても勝てなかったことが彼を苦しめる。

そんなヴィンセントには宇宙飛行士になるという夢があった。しかし、非適正者にとっては宇宙飛行士になることなど不可能。

しかし、夢をあきらめきれないヴィンセントは、非合法な遺伝子ブローカーの力を借り、「適正者」に成りすますことに成功する。その遺伝子の持ち主は、かつて水泳の金メダル候補だったが、事故により選手生命を絶たれたジェローム・モロー(ジュード・ロウ)という男だった。

ジェロームの遺伝子を使って宇宙飛行士の養成機関でもある「ガタカ」という組織にもぐりこんだヴィンセントは、自身の壮絶な努力の甲斐もあり見事宇宙飛行士の資格を手にする。だが、木星へのフライトが目前にせまるなか、ある事件が起きたため、ヴィンセントに疑いの目が向けられる・・・

今思えばかなり豪華なキャスティングですね。ちなみに公開は1997年です。

 

今、ガタカを見て思うこと

名作の条件は「あいまいであること」と言った人がいたそうですが、本当にそのとおりだと思います。

これほど見るたびに感想の変わる映画も珍しいですね。

昔は単に、努力すれば夢叶う、というストーリーがいいなあ、と単純なことを思っていました。

が、年も取っていろいろと経験もしたせいか、最近はまったく違うことばかり思い浮かぶのです。

今、ガタカを見て思うのは、

 

ガタカとは、近未来の日本の姿を暗示しているのではないか

 

ということ。そこに見えるのは

  • 劣等感と嫉妬をエネルギーにした、優秀さを誇示するためだけの終わりのない競争 と、
  • その後ろに見え隠れする、イヤになるほどグロテスクな遺伝による不平等

の2つです。

 

ヴィンセントの夢は、本当に夢だったのか?

今、ヴィンセントの生き様を思い返してみると、賞賛を送るどころか疑問に思ってしまうことがあります。

何かというと、

木星に行くというのは、ただ誰かに負けたくない一心でしがみついた、かりそめの目標に過ぎなかったのではないか?

ということ。

たしかにヴィンセントは努力と熱意で宇宙飛行士になり、木星に行けました。
ですが、その後いったい彼にとってどんないいことがあったというのでしょう。

ネタバレで恐縮ですが、彼が「不適正者」であることはすでにバレています。
したがって、戻ってきても捕まって叩き出されるだけ。

よしんばうまく木星にいけたとしても、どのみち遅かれ早かれ彼が不適正者であることは白日の下にさらされていたはずです。

そう考えると、木星に行くのは本当に彼の「夢」だったんでしょうか。心底やりたかったことなんでしょうか。

どちらかというと、弟のアントン(ちなみに、適正者の割には冴えない仕事をしています)や他の「適正者」全体に対する仕返しだったのではないか、とすら思えるのです。

うがった見方をすると、ヴィンセント自身、そのことに気づいていなかったのかもしれません。

「不適正者」として生きるのはあまりに夢がないから、無意識に「適正者」の中でも特に優秀と思われる宇宙飛行士を「夢」だと思い込んでいたのではないかなという気がします。

そういう気持ち、身に覚えがないでしょうか?

今勤めている会社、本当に心の底から望んだ会社ですか?
そもそも会社で働きたかったんでしたっけ?
そうじゃなくて、結局「誰かに勝ちたかった」だけではないですか?

ちょっと余談になりますが、映画をごらんになった方はよくお分かりのとおり、ガタカという組織が実際のところ何をしているのか、まったくわかりません。

従業員も普段どういう仕事をしているのかも分からなければ、そもそも会社なのか政府機関なのかといったこともまるで明らかにされないのです。

唯一わかるのは、ガタカに所属していることが優秀さの証である、ということだけ。

何してるかはどうでもよくて、そこに入ることだけが目標。それ以上の説明は不要。

日本の会社も同じようなものだと思いませんか?

就職人気企業ランキングは相も変わらず商社やら銀行やらが上位を独占しています。
一方、収入のめちゃくちゃ高い外資のコンサルなども人気ですね。

でも、商社やコンサルが何をしているか、外からは正直言ってよくわかりませんし、銀行にいたっては世間から非難されることすらしばしばあります。

なのになぜ、学生はこぞってそこにエントリーシートを送るのでしょうか。

私にはただ、「そこに内定をもらうことが自分の優秀さを示すから」以外の何者でもない気がしてしょうがありません。

まったく他人のこと言えないんですけど。

 

遺伝子の勝者は、自分が勝者であることにすら気づかないという不平等

 

ジュロームはジュロームで水泳で金メダルを取れなかったことをずっと人生の汚点として悔やんでいますが、大多数はそこにすら行けないわけです。

でも、ヴィンセントに出会うまでそのことには気づきもしていませんでした。

それだけ「適正者」と「非適正者」の間には暗くて深い川が流れていたわけです。

水泳といえば、ヴィンセントは幼いころから何度もアントンと競争しては負けています。でも最後の最後でようやく勝つことができ、おぼれかけたアントンを救うことすらできました。

ですが、相手がジュロームだったらどうだったでしょうか。きっと惨敗ですね。

そのジュロームでさえ勝てない相手がいる。「適正者」どうしですらそうなのです。
悲しいかな、遺伝子はわれわれを絶対に競争から降ろさせてくれません。

もっと悲しいのが、

宇宙飛行士の中には、ヴィンセントのとんでもない苦労と努力を全くすることもなく、木星行きのシャトルに乗り込んでいる連中もいるということ。

個人的にはこれが一番切ないところでした。

同じシャトルの中に隣同士、肩を並べて座っているのに、かたや全く苦労なし。
ヴィンセントは犯罪まで犯してようやくガタカに潜り込めたというのに…

ここまで極端ではないまでも、今の日本では同じような例がたくさんありますよね。

たとえば、歌手やスポーツ選手、芸能人に2世が多いのは偶然でしょうか。

もちろん、彼らもジュロームのように苦悩はあるでしょうが、彼らの足元には何者にもなれなかったあまたの凡人たちが横たわっています。

そういった特殊な世界でなくても、やはり生まれ持った差を感じずにはいられない局面は多々あります。

たとえば学校。

学歴社会の利点のひとつは、選抜が平等であることだ、と言われています。

ある程度はそのとおりだと思いますが、実際フタをあけてみると、東大に行っている学生の親はほとんどが高学歴・高年収であることはよく知られています。

また、大企業に勤めている人の親もやはりどこかの大企業や官庁のそれなりの役職だったりすることもしょっちゅう。

やっぱり、最初の記事にもあったとおり、そこには遺伝子の影を見て取らざるをえないのです。

 

まとめ

努力して夢をかなえることが幸せへの道だと信じられてきましたし、努力すれば夢はかなう、という言説も巷にあふれています。

ですが、

そうまでして、夢は叶えないといけないものなのでしょうか?
そうまでして、努力はしないといけないものなのでしょうか?

あまり言うと、昔「1番じゃないとダメなんですか?」って言った人みたいになってしまうかもしれませんが、個人のレベルで競争だけが生きる意味になってしまったらこれほどつらいことはありません。

そして、行動遺伝学の知見は、かろうじてベールに包まれていた競争の結果を、これ以上ないほど残酷な形で白日の下にさらしてしまいます。

ガタカはそんなことを教えてくれている気がします。

でも、競争は止まりません。

昨日も今日も明日もあさっても、日本は不平等とそこから生まれる嫉妬や不満をエネルギーにして回り続けるのです。

ホントによくできたシステムだと思います。

 

・・・すべては遺伝子のために。

 

本日は以上です。最後までお読みいただきどうもありがとうございました!










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