こんにちは。
あの映画を見るまでは死ねない!と日々自分を鼓舞して生きながらえているMASUDAです。
とか言いながら、労働時間が長くて最近あまり映画を見に行けていないですけどね。
しょうがないので、家のDVDを漁っていたら「マトリックス」が目に留まりました。
懐かしい!1999年の映画なんですね。そんな古い感じしないけどな。
久しぶりに見終わってふと気づいたのですが、この映画、まんま「社畜生活からの脱却」みたいな話なんですよね。
今回は「マトリックス」のあらすじを振り返りつつ、自分らしく生きるにはどうしたらいいか、ということをちょっと考えてみたいと思います。
◇目次
「起きているのに夢を見ているような感覚」
キアヌ・リーブス演じる主人公のトーマス・アンダーソンは、IT企業のプログラマとして働く一方、「ネオ」というコードネームのハッカーという裏の顔を持つ。
何となく日常を過ごす一方、「この現実はもしかしたら夢かもしれない」という得体の知れない違和感が拭えず、アンダーソン(ネオ)は悶々とした日々を過ごしていた。
⇒黒い背景に緑の文字が滝のように流れるイントロは、1人の人間の一生など、あたかもプログラムのコード進行の一部にすぎない、と言わんばかりです。
学校も出て仕事についたし、忙しいので普段は立ち止まって考えることはない。
けど、何故か「これは本当に自分の望む人生なのか?」という疑念が常につきまとう。
一方で綻びはすでに生じ始めていて、ネオのように行動に移すかどうかは別にしても、その証拠に何かささやかな抵抗をしたい衝動に駆られる・・・。
そんな我々の鬱屈とした思いと重なります。
「起きろ、ネオ」「マトリックスが見ている」
ある日、寝落ちしたネオのパソコンの画面に、このメッセージが表示される。
直感的にこれは何かある、と感じたネオは、「白いウサギを追え」というメッセージを手がかりに、やがてトリニティという女性に出会うことになる。
続いて出会った、トリニティの仲間のモーフィアスの口から告げられた衝撃的な事実。それは、
「お前が生きるこの世界は、作られた仮想現実だ」
というものだった。
⇒ポイントは「直感的に行動に出た」というところですね。
映画ではストーリーの都合上そうならざるを得ないのですが、我々自身に置き換えてみるとここが本当に運命の分かれ道。
理屈ではなく、何かあるに違いない、という天啓にも似た心のどこかからの呼びかけに応えることで、はじめて自分のストーリーは動き出すということです。
ちなみに、よく言われていますが「白いウサギ」は「不思議の国のアリス」が元ネタ。ただ、ウサギが連れて行ってくれるのは夢の世界ではなく現実世界であるあたり、ひねりが利いてます。
「ここに2つの薬がある」
ネオはモーフィアスから、赤い薬と青い薬のどちらかを選ぶよう促される。
赤い薬を飲めば真実を知る。青い薬を飲めばこれまでの記憶はなくなり、もとの生活に戻る。
ネオは赤い薬を飲み、意識を失う。
目覚めるとネオは自分がカプセルの培養液の中にいることに気づく。チューブをはずし外に出るとそこには異様な光景が広がっていた。見渡す限り広がるカプセルの列。中には人間が眠っていて、そこから発せられる光が機械に集められている。
言葉を失い佇むネオ。システムの異常を検知した機会に「異物」として排出されたネオは、待っていたモーフィアスたちに救われる。
⇒前半のクライマックスですね。
大事なのは「選択」。社畜生活から自分を解放したいなら、選択するしかないのです。
選択の結果「目覚める」と、今までの光景は一変します。
一方で恐ろしいのは、その瞬間から我々は「異物」として認識されるのです。ひえー。
でも大丈夫。我々と志を同じくする者は必ずいます。
「これは現実か?」「現実とは何だ?」
モーフィアスは逆に問い返し、こう続ける。
「現実はしょせん、脳が電気信号を翻訳したものにすぎない」
⇒今まで当たり前だと思っていた考えから解放されるということは、じゃあ何が本当なのか?という問いを生みます。
会社で一生働くのが当然という考えから解放されたときもそうでしょうね。
「じゃあ、自分は何をするのがいいのか?」と思うはず。
実はこれに対する答えも映画の中にあります。
モーフィアスのセリフのとおり、現実とは自分が脳で解釈したものでしかないのです。
つまり、何が正しいのか、何をすべきなのかもすべて「自分で考えて作り出す」ものだということ。
「心を解き放て」
⇒言うは易し、ですよね。会社を辞めよう!と思い立ったとしても「お金を稼げなかったらどうしよう」とか、「自分に本当にできるのか?」という思いを断ち切るにはそれなりの修練が必要なようです。
「エージェントに気をつけろ」
⇒(続編になるともっとスケールはでかくなりますが)、エージェントは「同調圧力」の象徴です。システムの秩序を守るためなら、脅しもかけてくるし実力も行使します。
会社を実際に辞めようとしたら猛烈な引き留め(単に、辞められると迷惑するので辞めないでほしい、というプレッシャー)に遭い、説得が無理だとわかると「じゃあ勝手にしろ!」みたいな空気になったことがある経験をお持ちの方もいらっしゃるのでは?
おそらくこの辺身につまされるのではないでしょうか。
余談ですが、映画の前半で始めてネオがエージェントにつかまったとき、物理的な「口封じ」をされますね。
あれもまあリアルというか・・・。すいません何でもないです(白目)。
ちなみに、ボスキャラであるエージェント・スミスはネオのことを絶対に「ネオ」と呼びません。マトリックス内の名前である「アンダーソン君」としか言わないのです。
暗に「お前はこの世界の人間だ。こっちのルールに従え。ここから逃げることは許さん」と言っているんですね。
「俺は信じている」
ネオはマトリックスに戻り彼を救おうとするが、「自殺行為だ」と止められる。
モーフィアスの信念によって行動を起こし自由を得たネオは、今度は自分自身の信念に従いモーフィアスを救うべく最後の戦いに望む。
⇒マトリックスのもう一つのテーマである「自分が信じるものに従い、行動を決めること」。
社畜生活から解放されたら、もう何も自分を縛るものなどないのです。
たとえ無茶だと言われても、「自分ならできる」という信念さえあればきちんと正しい道は踏み出せます。
ここはグッと来ますよねー。
強大な同調圧力の象徴だったエージェントも、信じて立ち向かう者の目にはただのプログラムに過ぎません。
ルールなんて何のことはない、ほとんどが自分の思い込みだったんですね。
「あらゆることが可能な世界」
マトリックスに向かって、電話で「人類をこれから解放する」と宣言する。
電話を切ると、ネオはマトリックスの中を猛スピードで飛び去っていった。
⇒ここまで来れば、もう社畜生活に戻ることはないですね。
それだけでなく、同じように苦しんでいる人さえ救うこともできる境地に達します。僕もそうなりたいもんです。
まあ、僕は信じてますけどね。まずは自分を救います。そこがスタートかな。
今日は以上です。もしよければ、皆さんもぜひ「マトリックス」を見返してみてください。
最後までお読みいただきありがとうございました!
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