皆さんこんにちは。
意外とのらりくらりで打たれ強いMASUDAです。
会社で生きていく上では必須のスキルですよね。
ただ、何事も限度ってものがあります。耐えればいいってもんじゃありません。
最近、どんな人がほしいかと言われて「使い減りしない人材」と答える上司が多いそうです。
実は私の会社にも、複数います。
言っているほうにはあまり悪気はなく、むしろ社員に対する賛辞としても使われているみたい。
すなわち「こきつかってもへこたれない」から優秀という意味らしいです。
ですが、私はこれを聞いて、本当にこの会社はやばいかも、と思いました。
と同時に、もし自分が部下を持つようになったとしても絶対にこの言葉は使わないようにしたいと心に決めました。むしろ日本語の語彙から今すぐ削除したいです。
日本企業の生産性が向上せず、労働者が多数自殺しているのはこういうメンタリティにも原因があると思うんですけどね・・・。
社畜にぴったりなこの表現
もともと、この「使い減りしない」という言葉は競馬用語。
馬は通常、レースをさせると馬体重が減ります。そして調子も悪くなります。
疲労するので当然ですね。そのため、馬体重が回復するのを次のレースまで待たないといけなくなるというわけ。
これを称して「使い減り」と言います。
なので、「使い減りしない」というのは、連続してレースに出してもパフォーマンスが下がらないという意味。
転じて、人間に使用されると「短期間に多量の労働をさせても生産性が落ちない、精神的にも参らない」ということなのです。
えっと・・・。
繰り返しますが、もともと馬に対して使う言葉ですよ?
これが何の疑問もなく社員に使われていること自体がおかしくないですか?
きっと人間扱いされていないのでしょうね。まさに社畜のための表現というわけ。
はい、お疲れ様・・・。
「使い減りしない」ことを尊ぶ上司も、喜ぶ部下もどうかしている
個人の資質として、大量の仕事をこなすことができること自体は大変結構なことだと思います。
けれども、それに頼っていると組織としては持たないでしょう。
その人がいなくなった瞬間に組織のパフォーマンスが落ちるからです。
加えて、この手の資質は他人に共有したり伝えることができません。
「がんばれ」と言ったところで急に使い減りしない社員が出来上がるわけでもないですし。
ちなみに「あいつもがんばっているんだから、お前もできるはずだ!」などというのは、「○○ちゃんもできるのになんであなたはできないの」というヒステリックなお母さんと同じレベルで、思いつく限り最悪の指導法です。
こういう社員ばかりを求める上司は、「自分には人を育てたり、活用する能力がありません」といっているに等しいのです。
結局社員個人の資質に依存しているし、かつタフかどうかという一面にしかフォーカスしていないのが理由。
また往々にして、この手の上司はそうでない社員をどう活用したらいいか分からないですよね。
そればかりか、安易に「こいつは使えない」という評価を下してしまう。
(「私は部下をもっと使い減りしないようにできます!」という人がいたらある意味すごいですが、大体は失敗に終わります。個人的にはめっちゃ消耗するんで絶対やめてほしいです。)
一方で、「君は使い減りしないなあ」と言われて喜んでいる社員がいたとしたら、それもちょっとおめでたいというか、はっきり言ってアホなんじゃないでしょうか。
評価されているのは「こき使われてもがんばって耐えていること」であって、生産性が高いとか、創造的であるとか、特別な知識をもっているとかいったことではありません。
そのことに無自覚だとすると先は危ういなあ。というかもう気持ち悪い。
もっと言うと、これは「周りから適切な支援も受けられてないのに、重たい仕事を気合だけでなんとかこなしてて偉いね」と言われているに等しいのです。
まるっきり旧日本軍のやり方と同じ。それで喜ぶほうがどうかしていると、私は思います。
まあ、褒められないよりはいいし、それで気持ちよく働けるのであれば、それはそれでいいのかも知れません。
もっとも世間ではそれを、「豚もおだてりゃ木に登る」と言ったりもするんですが・・・。
ストイックさとナルシシズムは紙一重だと思うが、どっちかというと後者な気もする。
多少希望があるのは本当に自分が仕事に愛着を持ち、意義を感じてやっている場合。
ただ、そのまま何十年も同じような幸運に恵まれて働き続けられる保障はないし、単に搾取されているだけの可能性も常に頭においておいたほうがいいでしょうね。
「使い減りしない」人材ばかりをほしがる上司は、きっと会社を滅ぼす
ちなみに、使い減りしないことを取り柄とする人がやがて多少偉くなったりすると、また同じように使い減りしない人材をほしがるという悪循環が生じます。
そこに見え隠れするのは、「俺のために働け。そうすりゃ引き上げてやる」という考え方。
基準はあくまで部下が自分のために働くかどうか。真の意味で会社への貢献度があるかどうか、そもそもその仕事が会社にとって有益か、というのはあまり関係なし。
使われるほうは使われるほうで、「要はこの人にさえに認められれば自分も偉くなれる」という考え方に傾いてしまいます。
結果、与えられた仕事が多少理不尽だろうが、顧客のためにならない話だろうが、そこはほっかむりしてその上司の顔色だけを窺うように・・・。
そうなると会社としては何の進歩もなくなっちゃいます。それどころか、内向きのことしかやっていないので退化してもおかしくありません。
一方で、より効率的に賢いやり方をするライバルが現れると途端に窮地に立たされることに。
しかし、残念ながらこういう上司は他にやり方を知らないので、物量作戦でもっと多くの使い減りしない人材を投入してその場をしのごうとします。
ですが当然人間には物理的な限界があるので、このやり方は持続性がありゃしません。
しかもその目的はやはり「俺が泥をかぶらないように、お前ら何とかしろ。そうすりゃ偉くしてやるから」というもの。なので状況は好転する訳がないんです。
結果、使い減りしないはずだった人材にもやがてガタがきて組織が崩壊の憂き目を見ることになります。
後は坂を転がり落ちるように状況は悪化するのみ。合掌。
幸か不幸か自分が「使い減りしない」タイプだと認識している人は是非こうしたことを頭の片隅においてもらえればと思います。
本日は以上です。最後までお読みいただきどうもありがとうございました!
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