汎用AIが到来した後の未来について。ベーシックインカムで生きるのは、空しい。



どうも。MASUDAです。

もはや人工知能の話を聞かない日がなくなってきましたね。

最近では新聞記事も人工知能が書いたり、簡単なお問い合わせも任されてるみたいです。

聞く人によって時期はまちまちですが、遅かれ早かれ「汎用AI」なるものが到来するとか。

そうなると、我々社畜たちは遂に労働という重しから解放されるのです!

やったー!って思います?

それがそうでもないんですよ。いろいろ考えたんですが、やはりそんな世の中は、空しいんです。

汎用AIの到来は、労働の死につながる

何やかんや言って、我々は資本主義が(今ある制度の中では)一番マシなものとして受け入れています。

ある意味社畜を生み出す元凶でもあるっちゃあるのですが、資本主義はもともと、

富のあるもの=資本家が、富のないもの=労働者を使用することで付加価値を生んでそれを回収する
という仕組みです。

汎用AIの何が怖いかというと、この仕組みの大前提となっている

資本家は労働者を使って富を生み出すという部分が崩壊することです。

端的にいうと、労働者がいなくても富が生み出せちゃうんですよ。

人間はトイレも行けば居眠りもするし、あげく愚痴まで言います。

ところが、人工知能はまったくこんな心配はなし。しかも24時間365日働いてくれます。

給料上げろとも言いません。

あなたが会社の社長だったら、MASUDAみたいなやつと人工知能のどっちを「採用」しますか?ってことになるわけです。

今の労働者は将来、どうやって富を得るのか?

AIが人間を労働から解放する!といえば聞こえはいいですが、フタをあければ何のことはない、

社畜、仕事もうないってよ

の世界です。いきなりニートに格下げですよ。

ただ、ある日突然みんな失業するとまいっちんぐなので、そこで登場するのが、

ベーシックインカム

だそうです。まあ、一足早い年金みたいなもんですね。

・・・もしかして、まだ「ニートで金もらえるなら最高ジャン」とか思ってます?

逆ですよ、逆。

これで何が起きるかというと、資本主義のひとつのゴールであった、労働者から資本家へのステップアップがほぼ無理ゲーになるということなのです。

これまで労働者はかろうじて少ない給料をやりくりして貯蓄し、将来のための原資としてきたのに、ベーシックインカム導入後はそれすら困難になります。

定義からして、ベーシックインカムというからには、そんなに気前のいいものであるはずがありません。

また、ベーシックインカムの配分は「できるだけ公平」かつ「最大限に効率的」にしないといけないはず。

そうなると行き着くところは「生きるのに十分な程度」というレベル。

これじゃまるで

「ほらよ、とりあえずこれで生きとけよ」

って言われているみたいな気さえします。

さっきはニートって言いましたが、社畜を卒業したら今度は家畜になったような感じで、空しいですね。早く人間になりたーい。

アメリカンドリームやら一攫千金やら、いろいろな呼び名はありますが、
今の資本主義経済のいいところのひとつは、なんらかの方法で価値さえ提供できれば、誰だって富を蓄積して資本家にもなれるところです。

持たざるものに唯一許されていたその可能性がほとんどなくなるのですから、ホントに恐ろしい話です。

労働という「言い訳」

もう十分テンションが下がっていると思いますが、もうちょいお付き合いください笑

もうひとつ、我々社畜が困ってしまうことがあります。

それは何かというと、

会社だけで時間の大部分を過ごしている我々が急に有り余る余暇を手に入れてしまったとき、どうしたらいいか途方に暮れてしまう」

ことです。

退職したら急にボケまっしぐらになる人の話をたまに聞きますが、これがもれなく全労働者の「今そこにある危機」と化すわけですね。

もうちょっとかっこいい言い方をすると、エーリッヒ・フロムの言っていた「自由からの逃走」すらも不可能になるといったところでしょうか。

自由な時間を楽しみたいところではありますが、如何せん収入はベーシックインカムのみ。
周りの人もだいたい同じくらいのお金しかもらってなくて、同じように毎日あてどなくただ生きているだけ。なんかゾンビみたい。

そんな恐ろしい未来が眼前に迫っています。

これだけ急激な変化が待っているにも関わらず、対策をまったく考えもしていないとしたらまずいですよ。

今のうちにクリエイティブなことをしよう

ホント、現代は労働者に厳しいですね。進むも地獄、退くも地獄です。

では我々に何ができるかというと、それはきっと

「労働以外の価値を生み出す」

ことしかありません。

MASUDAはこれに気づいたので、こんなブログをせこせことしたためているのです。

そうでもしないと、社畜として過労死でもするか、ベーシックインカムという名の生活保護暮らしになるかの2択しかなくなります。

どっちも、自分の望む暮らしとは程遠いですからね。

あと、やっぱり「何かを生み出す」って気分がいいです。

PV数はともかく、誰かが自分の書いたものを見て、何らかの反応をしてくれたり、行動してくれるというのはうれしいですね。

もし、今いる場所が身動きのとれないほど忙しいところなら、とりあえずもうちょっと融通の利くところに転職しちゃったほうがいいかもしれません。

「Google、汎用AIの開発に成功!」みたいな新聞記事が出る前に動きましょう。

どのみち、会社での労働は終わりにしなきゃ行けなくなる日がくるので。

今日は以上です。最後までお読みいただきありがとうございました!










2 件のコメント

  • >端的にいうと、労働者がいなくても富が生み出せちゃうんですよ。
    これはちょっと違うと思う。確かに何らかの製品自体は産み出せるだろうが、
    結局それを買わ(消費)なければ(社畜さんに金銭的な蓄えが無ければ)、資産家の懐に一銭も入らない。
    つまり「富を生み出せ」るわけではない。
    だから、
    「端的にいうと、労働者がいなくても富が生み出せちゃうんですよ。」というのは間違いだと思う。

    • インテリジェンス さま

      まずはこんな場末のブログを見に来ていただき誠にありがとうございます!
      その上コメントまで頂戴し感謝感激です。ちなみに記念すべきコメント第1号です。
      何も差し上げられませんが・・・。

      さて、ご指摘の件、たしかに労働者にまったくお金がないと、富の生み出しようがないですね。
      ここで想定していたのは、機械に仕事を奪われた元・労働者の唯一の収入源がベーシックインカムのみになるということです。
      その前提だと、資本家は元・労働者からベーシックインカムを巻き上げて資本を増大することになります。
      (資本増大のペースは落ちるかもしれませんね。)

      かたや、元・労働者はというと、なけなしのベーシックインカムだけで生活するわけですし、貯蓄できるとしても資本を蓄えるには至らないのではないでしょうか。
      かつ、自分のがんばりで収入が増えるわけでもないでしょうから空しいなあ、ということを言いたかったのです。

      これで多少意味通じましたでしょうか?わかりづらくてすみません。

      これからも引き続きよろしくお願い申し上げます!

      MASUDA

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